活動報告 今までの活動記録の一覧

2011年3月11日(金)東日本大震災 発生

「本当に、立っていられないほどの強い揺れでした。電気も止まり電話もつながらないため、社員の安否確認も不可能。その夜、珍しく雪が降った仙台の街を見ながら、一体どうなるんだ……と不安を抱いていました」
災害時、シダックス仙台支店の会議室にいた長野さん。壊滅的な被害であることは、手巻き式充電ラジオで知ったといいます。
一方、シダックスの渋谷本社では、社員はテレビで津波に飲み込まれる様子を目の当たりにする。社員の多くは帰路の足を奪われ帰宅ができなくなった。会社は帰宅難民のためにホールを開放し、200人が泊まることになった。

2011年3月12日(土)

シダックスは、9時に対策本部を設置し、事業本部長が集合した。即座に現地を支援しないといけないと判断し、各事業部から、28名の社員が選ばれ、救援隊第一陣として、現地へ午後6時に出発。
【救援隊第1陣】38名
トラックがチャーターできないため、大新東の大型バス、マイクロバス計4台。福島県郡山市、宮城県仙台市のシダックス社の営業拠点。
支援物資:水500mlペットボトル7,200本、乾パン・パン類2,600食分、マスク5,000枚、 懐中電灯、電池、充電器、トイレットペーパー、ティッシュ、軍手等。

南東北病院(郡山)に手術用のミネラルウォーターが10ケース必要ということで、乗用車で届ける。夕方の17:00に届けることが必須で、ぎりぎり間に合う。

2011年3月13日(日)

救援隊第一陣が仙台に到着。池田さんが現地対策室を組織した。
「現地対策室では、事業本部を超え、シダックスグループとして全体の状況把握をしながらやっていくことが必要。みんながひとつの束になろう」
まず、社員の安否確認を最優先事項とし、現地対策室は約20名で結成され、事業本部の垣根を超えたメンバーで構成された。


渋谷本部も、震災地震対策本部を設置。震災対策本部はパソコン6台、プリンター、FAXが運びこまれ、情報一元のためのセンターとなる。各事業部にも24時間体制に。

2011年3月14日(月)

安否不明者、600名以上。現地と連絡がとれない。

被災地域を除くレストランカラオケ全店、スペシャリティーレストラン全店、運営受託施設(企業内または病院内レストラン・売店)の一部で、「“マザーフード”基金」募金箱にて実施。 被災地内で安全が確保されたレストランカラオケ店舗で携帯電話充電サービスの一般開放、お手洗いの一般開放 等の実施。
社員の生命を一番と考え、情報を収集するため、24時間安否ホットラインを開設した。

2011年3月15日(火)

【救援隊第2陣】
郡山、仙台、花巻へ出発
支援隊21名、支援物資(食料・消耗品・備品)
路線バス、観光バス計3台


2011年3月16日(水) 支援物資を現地避難所に届けたい

現地の惨状を目の当たりにし、シダックスは被災地支援をすることを決定。
全国にある300を超えるレストランカラオケ店舗を利用して、一般の方から支援物資を募り、
集めた支援物資をシダックス社員が避難所に届ける活動を始める。
毛布・タオル・缶詰、レトルトをシダックス店舗で収集を開始。


【救援隊第3陣】
郡山、仙台へ出発
支援隊19名、支援物資(食料・消耗品・備品)
トラック、観光バス計3台

2011年3月17日(木)

全国から支援物資が店舗に届けられ、本社の地下倉庫に集約される。
写真上段:南東北病院

2011年3月18日(金) 支援物資活動 第4便 郡山、仙台へ出発

被災地域からの要望を把握し、支援物資の品目に食用の缶詰、レトルト食品を追加。


【救援隊第4陣】
郡山、仙台へ出発


救援隊を送れるかどうかは、ガソリン不足との戦いに。蓮田ICにガソリンがあるかどうか…。
近くの店舗で働くスタッフに確認に走らせる。「在庫ありです!」

リアルタイムの被災者ニーズを把握するため、シダックス支援(shidax_shien)Twitter開始。


2011年3月19日(土)

現地対策本部から、食料がまだまだ不足しているというヘルプ。
水、おにぎり。そんなとき、食材調達を専門にするエス・ロジックスの調達力が心強い。

2011年3月20日(日) 支援物資活動 第5便 郡山、仙台へ出発

支援隊16名、支援物資(食料・消耗品・備品)
トラック、観光バス計2台

2011年3月21日(月) 下着(新品)の受け付けを追加。

現地対策本部から、下着が不足しているとの情報。次々に変わっていく現地からの要望に戸惑う、困っている被災者のことを思うと、応えなければ…と思う。
全店舗に支援物資の品目として、下着(新品)の追加を即日指示。

被災地域4,187名全員の安否確認が終了。安否ホットダイヤルも終わり。
一般の支援物資の配送を開始。まずは、岩沼市市民会館、多賀城市役所に。

2011年3月22日(火)

【救援隊第6陣】
古城小学校、石巻市北上総合支所

2011年3月23日(水) 埼玉県三郷市端沼市民センターへの支援物資輸送。

被災地域4,187名全員の安否確認が終了。安否ホットダイヤルも完了。
一般の支援物資の配送を開始。まずは、岩沼市市民会館、多賀城市役所に。
三郷市立瑞沼市民センター(埼玉県) に支援物資の提供。(福島県広野町から避難)
支援物資: 缶詰2,139個、カップスープ216個、毛布222枚、タオル4000枚、トイレットペーパー192個、マスク1,000枚、ティッシュ40箱、生活用品10点


2011年3月24日(木) 南三陸町ベイサイドアリーナ、石巻市北上総合支所への支援物資輸送。

支援ツイッターに、現地からSOSが入る。ツイッターで交信し、南三陸町の場所を特定。
現地は危険地域の南三陸町。現地に行けるのか、行けないのか分からない。
現地リーダーの斎藤仁志さんは「行きたい」と。本部はムリするな。

【救援隊第7陣】
南三陸町ベイサイドアリーナ、石巻市北上総合支所への支援物資輸送。


2011年3月25日(金)

南三陸町のSOSに二箇所に無事到着。はじめての支援と感謝を受ける。

南三陸町名足保育園、馬場中山生活センターへの支援物資輸送。

2011年3月26日(土)

馬場中山生活センターへの支援物資輸送。

2011年3月27日(日)

歌津中学校、四季の里矢本芽の花、いずみの郷、ぎんの里への支援物資輸送。

2011年3月28日(月) 石巻市北上総合支所、気仙沼市旭が丘学園、亘理町役場物資センター、花もよう、涼風園、稲井公民館、カーサ・デ・コスタへの支援物資輸送。

「食料のほか、こういった毛布類など、必要な物をお願いするとすぐに届けていただける。本当にありがたいです」
石巻市・特別養護老人ホーム涼風園 生活相談員・佐々木様

【救援隊第9陣】

味の素スタジアムへの支援物資輸送。


2011年3月29日(火) 山元町立山下中学校、気仙沼市三日町キングスタウン、夢の森、気仙沼市総合体育館への支援物資輸送

テレビ朝日のニュース番組で、シダックスの支援活動が紹介される。
シダックスの支援活動を知った企業から、支援物資の提供をしたいという申し入れを多くいただく。そして、支援の裾野は広がっていく。

2011年3月30日(水) 文具・児童書を店舗にて収集を開始。

現地から、避難所の子どものために文具・児童書の要望が多いと連絡がある。
支援物資の品目として、文具・児童書を加えることを店舗にて即日指示。

石巻市門脇中学校、亘理町逢隈小学校、坂元中学校への支援物資輸送。
【救援隊第10陣】

2011年3月31日(木)女川町対策本部、白石市白石スポーツセンター、歌津中学校、泊浜生活センター、名足保育園への支援物資輸送。

3月末までに一般のお客様から集めた支援物資は、
毛布:4千枚、タオル:50千枚、缶詰:18千個、レトルト食品:8千個、
下着:38千点、児童書:16千冊、文具:33千個、その他:8千点
に上ります。

支援活動を「仕組み」にする

 現地の要望は刻々と変化していくため、何が本当に支援になるのかを現地からリアルタイムに聞くことが重要だ。
そのため、現地対策本部とは、日々連絡をとりあい現地要望を確認した。
そして、このころ、支援物資を一般の方や企業様からお預かりし、現地避難所等に届ける一連のシステムが完成した。


シダックスで培った仕組みは、支援システムのひとつである。
各企業が得意とする分野で、手を組み、支援活動の輪をより大きなものにしたい。

――この意思が、ACTION for NIPPONにつながっていく。